No.68 2000/10/07
ベルカントは嫌いだ

 2000年10月1日のシドニーオリンピック閉会式のアトラクションで、クラシック系の女性歌手がソプラノで何かの歌を歌っていました。あれって、何語で歌っていたんでしょう?英語ではないように聞こえました。ドイツ語かなと思ったのですが、確信は持てませんでした。
 私は(もちろん多くの人がそうでしょうが)、英・独・仏・伊・西・露の主要ヨーロッパ言語の判別くらいできます。それらのいずれでもなければ、そうとわかります。しかし、あの歌の言語はわかりませんでした。こんなことはめったにありません。一方、もう一人歌っていた、ポップス系の女性歌手の歌は、もちろん英語とはっきりわかりました。

 ベルカント唱法(オペラのような歌い方)では、特にソプラノの場合、言葉が聞き取りにくいということは、前々から感じていました。以前、音響学の専門家の本を読んだら、「ソプラノの歌の言葉が判別しにくいのは、周波数が高いためにフォルマントの形がはっきりしなくなるからだ」と書いてありました。
 専門的になりますが…。
 一定の高さで「アー」と発声した時、その声は、ベースとなる周波数の正弦波と、その整数倍のたくさんの周波数の正弦波が重ね合わさった音になります。その周波数成分を、横軸に周波数、縦軸に音圧をとったグラフにしたとき、グラフ上で各周波数成分の音圧値を結んだ曲線は山あり谷ありの形になります。その山の部分をフォルマントといいます。フォルマントの周波数分布は、「ア・イ・ウ・エ・オ」などの母音によって異なります。
 声が高いと、周波数成分の間隔がまばらになります。だからフォルマントの形がはっきりしなくなり、したがって言葉が判別しにくくなるのだという説明でした。
 私は、この説は間違っていると思います。なぜなら、ポップス系の発声では、どんなに高い声でも、言葉がわかりにくくなったのは聞いたことがないからです。
 ベルカント唱法、特にソプラノでは、高い声を豊かな声量で出そうとするあまりにのどを開けすぎるのが、言葉がはっきりしなくなる原因だろうと私は思っています。素人でも、ふざけてオペラの真似をするのは簡単です。のどを大きく開けて、わざと言葉がはっきりしないように歌えば、オペラっぽく聞こえますよ。
 音楽には素人なのに勝手なことを言わせてもらいますが、なぜベルカント唱法では言葉をはっきり伝えることを軽視するのですか?だから私はベルカントが嫌いなんです。

 …なあんてことは、私の嫌いなものに理屈付けしただけのことです。
 実は、私はクラシック音楽の大方が嫌いです。ポップス風アレンジのクラシックやクラシック風アレンジのポップスはいいのですが、クラシック然とした演奏のクラシック音楽はだめなんです(バロック音楽は別)。クラシック音楽を聞くと、不快感で疲れてしまいます(今では、脳が防御反応を起こして聞き流してしまえるようになりました)。なぜだかわかりません。好き嫌いは理屈じゃありません。
 私の若いころには、クラシック音楽を好まない人は無教養だとする風潮がありました。ビートルズを好む若者は不良だとも言われていました。(ヨハン・シュトラウスがワルツを創り上げたころも、当時の大人たちは、男女が触れ合って踊るのに眉をひそめたものだそうですが。)
 でも、最近では価値観が多様化してきましたから、クラシック音楽だけが価値ある芸術音楽だなどと得意げに吹聴する人はほとんどいなくなったようですね。けっこうなことです。

 もちろん、私は、クラシック音楽の価値を否定しているのではありませんよ。クラシック音楽が好きだという人の好みに干渉する気は毛頭ありません。一方、私は、西欧音楽の圧倒的な台頭の陰に隠れた民族音楽(第9回参照)に心惹かれたりするんです。その好みに干渉されたくもありません。人の個性は多様なんですからね。
 だからどうってこともないんですけどね。言ってみただけです。それと、「みんなが良いと言う芸術をなぜ自分は理解できないのだろうか」という、私と同じような思いを秘めていた(おそらく少数の)人に、「あなただけではありません」というメッセージを伝えたかっただけです。

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