幼児に「右ってどっち?」と問われたら、たいていの人は「お箸を持つ手の方」と答えるでしょう。でも、これは「右」についての厳密な説明ではありませんね。左利きの人もいますから。それに、普遍的な説明ともいえません。「箸を使ってご飯を食べる」という日本の文化を前提にした説明だからです。
「右ってどっち?」に対して
「こっち」
と説明してもいいのですが、これは、言葉の意味を説明するのに言葉以外の情報(すなわち、ページ上での、その言葉の書かれている位置)を使っています。このような説明方法は、概念を厳密に規定しなければならない場合に問題を起こす可能性があります。
「サンダーバード2号へ。こちらサンダーバード1号。衝突コースにある。右旋回せよ。こちらも右旋回する。」
「了解。」
「おいっ、右旋回だと言ってるだろうが!」
「右旋回してますよ。どっちに曲がれと言うんですか!」
「右といったら右だ!」
「あ、そうか。お互いに上下逆の姿勢で航行していたんですねえ。」
「うわあああっ!」
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一般に、当たり前の合意と思っていたことが、新しい環境条件のもとでは通用しなくなるということはありうるのです。ですから、言葉の意味を、言葉を使って厳密に規定しておかなければならない場合があります。
言葉を使ってとはいっても、
「右という言葉を使わずに右という言葉の意味を定義してください。」
「んー、左の反対!」
「では、左とは何ですか?」
「右の反対!」
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これでは堂堂巡りです。
では、国語辞典ではどのように説明しているのでしょうか。
まず、広辞林(三省堂)です。
最初読んだ時にはずっこけましたが、当たり前すぎる言葉の意味を厳密に説明する方法の一つではあるでしょう。
さて、この説明に使われている言葉の説明は?
みなみ[南] (一)四方の一つ。真昼に太陽のある方。
にし[西] (一)四方の一つ。日の沈む方角。
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「南」の説明は普遍的ではありませんね。「北半球において」と書くのが厳密でしょう。ところが、その「北半球」の説明には「北」が使われていて、
きた[北] (一)四方の一つ。日の出に向かって左の方角。
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えっ、じゃあ…
ひだり[左] (一)人が東に向いたとき、北にあたる方。
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あちゃー、堂堂巡りだ。
別の辞書を見てみましょう。岩波国語辞典です。
みぎ【右】 (1)相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、また、この辞書を開いて読む時、偶数ページのある側をいう。
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「あなたが今見ているこの辞書の偶数ページのある側」という説明は、厳密ではあるでしょうが、普遍性がありません。その問題は、この辞書が辞書引きソフト「
ドクターマウス」(ジャストシステム)に採用されたことで顕在化してしまっています。だって、「ドクターマウス」でその記述を読んでいる人は、コンピュータの画面を見ているんですからね。
息子が持っている新明解国語辞典(三省堂)でも調べてみました。
みぎ【右】 (一)アナログ時計の文字盤に向かった時に、一時から五時までの表示の有る側。〔「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致〕
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お茶目な説明なので、親子で大爆笑してしまいました。それはともかく…
「アナログ時計」の説明は、人工的な物を引き合いにしたものですから、普遍的な説明とはいえません。だって、もしアナログ時計のデザインが変わったらどうなります?それと、「明」という漢字を使った説明は、外国語に翻訳する(しかも、その国の言語文字だけを使う)場合には通用しないという点で、普遍性に欠ける説明方法です。
いやはや、なかなかむずかしいものです。
当たり前すぎて辞書で調べる必要がない言葉を辞書で引いてみるというのも、新しい発見があっておもしろいものですな。(^^)