男女同権主義者の中には、「本来、男女の能力に違いはない。男は男らしく、女は女らしくと、男女の役割分担を押し付けるような社会だから、男女の違いが現れるのである。これが女性差別の根源である」という主張があります。私は、その主張には前々から疑問を持っていました。
私も男女同権主義者ではあるつもりです。それは、たとえばエンジニアになりたい女性が女性であることを理由に道を阻まれてはならない、また、同じ能力を発揮しながら女性であることを理由に低く評価されてはならないという意味です。男女に能力差はないという意味ではありません。
人間は大量生産の規格品ではありません。特性にばらつきがあります。能力という特性について考えてみると、私は子供の時から機械いじりが好きでした。だからそれを学ぶ努力はしましたが、それが好きになるための努力などしていません。一方、私は子供の時から口下手です。人とのコミュニケーションを図る能力の向上にはこの年まで懸命の努力を積み重ねてきたつもりですが、それでも話し上手な人にはかなわないという思いがあります。人の能力にはどうしようもない差がある。女性のエンジニアが少ないのは、エンジニアになるのに適した能力を持つ女性が少ないからではないか。真の男女平等社会ではエンジニアの半数を女性が占めるようになるなどということは嘘ではないか。――そんな疑問を持っていたのです。
誤解がないように改めて言いますが、エンジニアになるのに適した能力を持つ女性は、男性より少ないながらもいます。そういう人たちが男女の別なくチャンスを与えられるのが“男女平等”なのだというのが私の考えです。
アラン&バーバラ・ビーズ夫妻の著書「話を聞かない男、地図が読めない女」(藤井留美・訳、主婦の友社)は、私に明快な回答を与えてくれました。著者が述べていることのエッセンスはこうです。「男女平等を目指す社会では、人の能力や適正において男女差はないということになっている。しかし、平等と同質とは違う。男女には差がある。それは脳の構造の違いによるものである。これは科学的事実である。」
(一般的傾向として)男は人の話を聞かない。それは、言語能力が左脳に偏っていて、同時に入ってくる情報を並行処理する能力が低いから。女は、言語能力が左脳と右脳に分散されていて、左右の脳をつなぐ脳梁(のうりょう)が太いので、テレビドラマのストーリーを追いながら別の会話をするなど朝飯前。テレビを見ている時に話しかけると怒る男を理解できない。
また、(一般的傾向として)女は地図を読めない。それは、空間認識能力が低いから。男は、右脳による空間認識能力が高いので、地図の情報と現実世界とを頭の中で対応付けるなど朝飯前。地図を実際の方角に合わせてくるくる回してなおも道がわからない女を理解できない。
私には思い当たることばかりでした。きっと誰でも思い当たるはずです。
これまた誤解がないように言っておきますが、著者が主張することは、「だから男女どちらが優れている、劣っているということではない。ただ違うのである。その違いを理解することが男女の相互理解につながる」ということです。
この本には、「男脳・女脳テスト」というおもしろいテストが載っています。以下に一部を引用します。aは女性的傾向、cは男性的傾向、bはその中間で、それぞれを選んだ数によって脳の男女傾向度合いを測るというものです(どういう能力をみる問いであるかは、私が解釈して書き加えたものです)。
(1) 地図や市街図を見るとき (空間認識力)
a なかなか理解できなくて、結局は誰かに聞いてしまう。
b そんなものは見ないで、自分の行きたい道を行く。
c 地図も市街図も、苦もなく読むことができる。
(2) ラジオの鳴っている台所で、手のこんだ料理を作っている。そこに友人から電話がかかってきた。 (情報の並行処理能力)
a 友人と電話で話しながら、料理を続ける。もちろんラジオもそのまま。
b ラジオを消して、友人と話しながら料理を続ける。
c 料理が終わったらかけ直すからと言って電話を切る。
私の場合は、この二つについてはどちらもcです。総合では、男性的傾向が非常に強い脳であるという結果でした。
さて、当然ながら人はさまざまで、脳が女性的である男性や、脳が男性的である女性もいます。それは、胎児期のホルモンの作用によるものです。
実は、胎児の体の基本形は女性です(男にも乳首があるのは、それが理由です)。男になる胎児は、ある時期に男性ホルモンの作用で体が男の形に変化し、脳の中の配線も男の形になります。しかし、男性ホルモンが不足すると、体は男になったものの、脳の配線が女の形のままになります。逆に、男性ホルモンの分泌が多くて脳が男性的になる女性もいます(脳が女性的な男性よりも数は少ないですが)。そのような人の中に同性愛者がいます。
今の社会には、同性愛者に対する偏見や差別意識が根強くあります。なぜ通常人(同性愛者でない人という意味でこう言うことにします)は同性愛者に対して偏見を持つのでしょうか。
一つは、同性に恋愛感情を持つのが理解できないということが考えられます。しかし、通常人がそうであるのと同じように、同性愛者にとっては、異性に恋愛感情を持てることが理解できないのです。脳がそうなっているからです。理解できないのはお互いさまと思えば、同性愛者だって普通の人だと思うことができるのではないでしょうか。
また、「オカマに言い寄られるのは気持ち悪い」と思っている男性は多いでしょう。しかし、それはおそらく、ドラマや漫画などのフィクションや、ごく一部の男性同性愛者の行動が誇張されて伝わっているからです。実は、男性同性愛者やその傾向がある人は男性の10%以上いるそうです。そういう人の大多数は、同性愛者であることを隠して、あるいは、心が男性的になれないことに苦しみながら生きています。男性同性愛者が皆、男性と見れば相手かまわず言い寄るなどとは、とんでもない偏見です。
「自分の子孫を残せない同性愛者の存在は、神の御心に反する罪悪である」――そういう考えは、信仰の仮面をかぶった大きな罪悪です。
同性愛者になったのは、本人が自らの意思で選択したことではないのです。生まれつきの脳の性質によるもので、本人にはどうしようもないことなのです。「赤毛やそばかすと同様に生まれつきのものだという認識が広まれば、同性愛者に対する偏見や差別はなくなるだろう」とビーズ夫妻は書いています。
有名なカルーセル麻紀さんや美輪明宏さんも、男性の体に女性の脳を持って生まれた人です。彼らは、嫌悪と偏見と好奇の目にさらされながら、それを逆手にとって自らの個性を前面に押し出し、超一流の芸能人としてのし上がりました。私も若いころは、嫌悪と偏見と好奇の目で見ていた一人でした。しかし、あらゆる差別意識を自分の心から捨て去ろうと努め、また、脳の男女差の科学的知識を得た今、私は彼らを立派な人、強い人として尊敬しています。